太平洋戦争末期。米軍が上陸した地上戦を経て、沖縄では第32軍総司令官牛島満大将が自決。日本の敗北が決定的となった。しかし八重山諸島ではその後も散発的にアメリカ軍の攻撃が続き、避難命令や疎開命令が出されていた。石垣島では台湾への疎開のため、戦時徴用船として二隻の船が使われることになった。潜水艦等が危険な与那国島からのコースを避け、尖閣諸島近くを迂回して台湾へ向かったのだ。1945年7月3日午後、米軍機による攻撃を受け、一隻は炎上・沈没。もう一隻は機関故障で漂流。疎開者の貴重な命が失われ、多くの人々が海に投げ出された。生き残った疎開者たちは、生きるための「真水がある」魚釣島を目指した。幸いにも人々は魚釣島に辿り着いたが、食糧がすぐに底をつき、飢餓が襲う。やがて人々は、石垣島へ助けを求めるためにサバニをつくることを決意する。飢餓の中で、次第に形になっていくサバニ。そしてサバニは完成し、8人の若者が荒ぶる海に立ち向かっていく。
五十嵐匠