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迷わない女、アンジェリーナ・ジョリーが描く『最愛の大地』

クリント・イーストウッド監督は『許されざる者』を監督したとき、「こんな暗い映画、誰が観るんだろうって、毎日思いながら撮っていた」と言ったそうだ。重くシリアスなテーマを扱うときは巨匠でさえ悩むのかと驚くが、きっと彼女は悩むことなく…

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『最愛の大地』-(C) 2011 GK Films,LLC.All Rights Reserved
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  • アンジェリーナ・ジョリー/『最愛の大地』特別上映会 in 国連大学
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  • 『最愛の大地』日本版ポスター -(C) 2011 GK Films,LLC.All Rights Reserved
  • 『最愛の大地』海外版ポスター -(C) 2011 GK Films,LLC.All Rights Reserved
クリント・イーストウッド監督は『許されざる者』を監督したとき、「こんな暗い映画、誰が観るんだろうって、毎日思いながら撮っていた」と言ったそうだ。重くシリアスなテーマを扱うときは巨匠でさえ悩むのかと驚くが、きっと彼女は悩むことなく、信念のままに『最愛の大地』を撮ったのだと思う。彼女とは、オスカー女優で何かと話題を振りまき続けるアンジェリーナ・ジョリー。長編初監督作品として注目を集めているが、注目すべきはその話題性だけでなく、彼女が向き合ったテーマだ。

『最愛の大地』は、セルビア系ボスニア人の警官・ダニエルと、ムスリム系ボスニア人の画家・アイラの恋愛を通し、第二次世界大戦以降のヨーロッパで最も悲惨な争いとも言われる、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を描いた物語。戦争により敵同士になってしまった恋人同士の悲劇、人間の本質に迫っていく――。

アンジーが、このテーマを選んだ理由に疑問を抱く人はそう多くないだろう。国連高等難民弁務官事務所(UNHCR)の親善大使を務め、難民、子ども、女性といった弱者のための国際的な支援活動をライフワークとして続けているのだから。紛争によって引き裂かれた恋人たち、特に弱者である女性の悲しみをクローズアップし、驚くほど勇敢に悲劇に斬り込んでいく本作を観ていると、アンジーが活動を通して感じた深い悲しみや怒りが手に取るように分かり、被害者たちの“声”であろうとする姿勢が垣間見えてくる。そして、作品の精神を通して、観る者は悲劇の追体験ともいえる深い感情を覚え、心を揺さぶられるのだ。

アンジーは、自らが動くことにどれだけの価値や意味が生じるかを良く理解している人だ。だからこそ、女優としての立場、UNHCRの親善大使としての経験、活動を通して見聞きした現実をフルに活用し、この作品に魂を込めた。だが、それは決して簡単なことではなかっただろう。悲劇を、特に悲惨な史実の一端を語るとき、半端な姿勢で臨むとそれはある種の冒涜にもなりうるからだ。実際に、弱者に手を差し伸べてきた者として、また一人の映画人として、このテーマを語る難しさは十分に承知していたはず。それは重荷だったはずなのだ。

そこで、冒頭のイーストウッドの言葉に戻るわけだが、普通は、あれが正直なところだと思う。だが、アンジーは、脚本・プロデュースをも手がけるほど本作に情熱を傾けた。迷いなど一縷も感じさせないのだ。そこに彼女の強さがある。引き裂かれた戦時中の恋を描写する際にも、決して感傷に浸らない。愛のためなら立場など関係ないといった夢物語が現実には通用しないことが多いということを知っているからだ。

ダニエルとアイラの間に溝を作る民族間の憎悪は、数々の不条理を生み出す。それを重々承知しているアンジーは迷うことなく、淡々とあるべき姿(それはつまり、正しい描き方かどうかなのだが)に寄り添っている。メロドラマに陥ることなく、醜い争いに巻き込まれた人間の感情とその変遷の真実を、一組の男女の姿を通して徹底的に描いているのだ。

アンジーは、このプロジェクトを進めるにあたり、各方面への敬意と繊細さを持ち続けなければならないことを理解していたと言う。その証拠となるのがこの言葉だ。「私は、政府機関で働く人や国際的コミュニティの人たち、国連、戦争の記事を書いているジャーナリストなどいろいろな人たちのところに行って“これって正しい?”と聞きました。(中略)でも、私が脚本を送るのに一番神経を使って、一番意見を重視したのは、実際その場にいて、家族に影響を及ばされ、銃撃され、難民となったその地域の人たちや俳優たちでした」。

その真摯な姿勢が本作を、素晴らしいドラマ作品へと導いた。

ほぼ全編において、本作が女性、ましてやアンジーが監督しているということを特に意識することはないのだが、あえてアンジーらしい視点を挙げるならば、女性たちに降りかかり得るこの世のあらゆる悲劇を包み隠さず描き抜いているというところだろうか。やはり、強者が行う女性への人権侵害行為に潜む残虐性の本質は、同性だからこそ見抜ける部分が多分にあるはずなのだ。

同じ女性として、決して描くことが楽ではなかったであろう卑劣な行為の数々からも決して目を逸らさない。そうすることで、弱者の人権を守ることの重要性を強調していく。この強さこそアンジーならではであり、この妥協を許さない厳しさこそ映画監督としてふさわしい資質なのだと思う。

この作品には、怒りを声高に叫ぶといった偽善的な視点も、高みから見物しているような、被害者たちへの同情も感じられない。実際に悲劇に寄り添った者だけが持つ視点で、現実の厳しさが映し出されている。

本作を観れば、観終わった後、アンジーが興味本位で本作に取り組んだのではないことが、きっと分かるはずなのだが、彼女自身がこの映画を作るきっかけを語っているので、最後にその言葉から彼女の覚悟を感じて欲しい。

「私は、国際社会が迅速かつ効果的に戦争に介入することができなかったことに対する失望を、アーティスティックに表現する映画を作りたかったのです。また、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争のほかにも戦争中の女性や性暴力、戦争犯罪に対する説明責任、人道犯罪、和解への努力など、幅広い問題を深く追求し、理解したかった。第二次世界大戦後のヨーロッパで最も悲惨な戦争だったにも関わらず、自分たちの時代、自分たちの世代で起こったひどい暴力のことを、時に人々は忘れてしまうものなのです」。

愛する者たちの絆さえ引き裂く残酷な歴史。アンジーは、過ぎ去った歴史にすら危機感を抱き続けている。それは、彼女が止むことのない憎悪の繰り返しの中で苦しむ弱者たちの声に、いまも耳を傾け続けているからだろう。だとすれば、彼女の闘いはこれで終わりではないはずだ。きっと本作はスタートラインに過ぎない。ここからアンジーはまた新しい道を真っ直ぐに進んでいくはずだ――迷うことなく。
《牧口じゅん》

映画、だけではありません。 牧口じゅん

通信社勤務、映画祭事務局スタッフを経て、映画ライターに。映画専門サイト、女性誌男性誌などでコラムやインタビュー記事を執筆。旅、グルメなどカルチャー系取材多数。ドッグマッサージセラピストの資格を持ち、動物をこよなく愛する。趣味はクラシック音楽鑑賞。

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