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【インタビュー】広末&稲垣とは「縁がある」? 原作者が語る『桜、ふたたびの加奈子』

主人公を演じた広末涼子は、先のインタビューで「この原作が“ホラー”の棚に置かれていたことにビックリしました」と驚きを語っていた。

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新津きよみ(原作者)/『桜、ふたたび加奈子』
新津きよみ(原作者)/『桜、ふたたび加奈子』
  • 新津きよみ(原作者)/『桜、ふたたび加奈子』
  • 『桜、ふたたびの加奈子』 -(C) 『桜、ふたたびの加奈子』製作委員会
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  • 『桜、ふたたびの加奈子』 -(C) 『桜、ふたたびの加奈子』製作委員会
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  • 『桜、ふたたびの加奈子』 -(C) 『桜、ふたたびの加奈子』製作委員会
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  • 広末涼子&稲垣吾郎『桜、ふたたびの加奈子』ブルーレイ・ジャケット -(C) 『桜、ふたたびの加奈子』製作委員会
主人公を演じた広末涼子は、先のインタビューで「この原作が“ホラー”の棚に置かれていたことにビックリしました」と驚きを語っていた。

実際に作品を観てみると、“なるほど”と同じく驚かずにはいられないが、この感動とサスペンスとミステリーが混然一体となった原作を書き上げた当の本人は、「入口はどこであってもいいと思うの。でも、サスペンスがない小説は私、ファンとして読む気にならないの」と微笑みながら明かす。

その人こそ映画『桜、ふたたび加奈子』の原作者、小説家・新津きよみである。DVD&ブルーレイの発売を前に、映画となって生まれ変わった小説「ふたたびの加奈子」を通して、『桜、ふたたび加奈子』を語ってもらった。

本作は、広末涼子と稲垣吾郎が夫婦役を演じたことで公開当時、大きな注目を集めた感動作。物語はある日突然、娘・加奈子を不慮の事故で失った容子が、娘の“生まれ変わり”を信じて葛藤し、母として生きることの幸せを夫・信樹と共に見つけていく姿を描いたものだ。

まず始めに訊いてみよう。映画として生まれ変わった“わが子”「ふたたびの加奈子」にどんな感想を持ったのだろうか?
「2時間くらいに凝縮するものですから、プロットがシンプルになっているというのは脚本を頂いたときから分かっていたんですけど、それだけシンプルになっているのに最後の原作を読み上げたときの感動と映画を観終えたときの感動の質が同じっていうのに驚いたし、嬉しかった」。

原作者に「感動の質が同じ」と言わしめるのは、なかなか簡単な話ではない。しかしそれは、フィルムに収められた広末さんと稲垣さんの表情を見れば納得のはず。この2人のキャスティングに、新津さんは「縁があるんだなと思いました」という。

「俳優さんが誰で…と具体的にイメージして(小説を)書くときもあるんですけど、『ふたたびの加奈子』はごく普通の夫婦なので、特に誰っていう固定のイメージはなく書いていたんですね。たまたま以前、連続ドラマ「トライアングル」('09/原作・新津きよみ)を2人がやって下さったんです。こうやって見ると、美男美女の2人がカップルで地方都市にいたら目立つだろうなんて思われるかもしれないけど、映画を観終わったら広末さんに容子が憑依したような感じで熱演してたし、稲垣さんは信樹っていう妻を支える、温かい理想の夫を自然体で演じられていたので、この2人以外ではありえないという感じですごくハマっているなと思いました」。

本作の撮影現場にも足を運んだという新津さん。「稲垣さんが(娘・加奈子の)死亡届を実際にある役所に提出するシーンだったので、すごく緊迫感がありました」と撮影秘話も明かす。
「(稲垣さんが)薄暗がりのソファで役づくりされていて、思いつめたような顔をしていたから、あまり話しかけられる雰囲気じゃなくて…。それでも(撮影開始の)声がかかったら一瞬のうちに切り替えて、役になりきっていらっしゃいました」。

俗な言い方をすれば“イケメン”稲垣吾郎が演じた信樹は、女性としての新津さんの心を打ったそうで…。
「困惑しながらも信樹はずっと容子を支えて、待ちの姿勢で温かく見守ってくれるじゃないですか。原作とはキャラクターは少し違っているけど、映画版の信樹の方がいいなって(笑)。こんな理想の人と結婚したいなって思いますよね」。

そんな理想の夫・信樹に対し、広末さんが演じた妻・容子は傍目から見るとかなり危なっかしく不安定な揺れ方をしている。その心のバランスを失ってしまった姿には、信樹と同じ苛立ちが観る側に芽生えることになる。そこには、新津さんの考える男女間の“温度差”が描かれているからだ。

「特に男性は、苛立ちを覚えながら観るのかなって思いました。自分の体内から生み出すことで母親になる女性と、妻が子どもを産んだら自動的に父親になってしまう男性。その子どもを失ったときの悲しみの“温度差”っていうのかな…悲しみの度合いの違いをどう描けばいいのかなと意識していました。私も子どもを産んでみて子育ての過程で疑問に思ったりとか苛立ったりとか、焦燥感とかそういうのを割と心理描写の形で入れたんです。女性は自分が産んだから子どもを失うということは、もう腕をもぎ取られるというくらい辛く悲しいものがあると思う」。

しかしその一方で、男性の持つ父親としての悲しみもしっかりと描かれていることに興奮したという新津さん。
「女性のものは、言葉に表さなくても共感してもらえるんですよね。でも、男性の場合はどのように伝わるのかなと思ったんです。男である(栗村実)監督のこの淡々とした描き方の方が悲しみは伝わったのかもしれないって、何回か観て思いました。死亡届を出したときに最後の文字でかすれちゃうとか。こういう理想的な形で悲しみを表した栗村監督に脱帽という感じでした。『こういう手できたか!』って感じで」。

本作で描かれるのは、失う悲しみだけではない。そこから立ち直っていく姿を追った、家族再生の物語なのである。そこで鍵となるのが、“生まれ変わり”。この現象が本作を、ミステリーかつファンタジックな感動のラストへと導いていく。

新津さんはこの“生まれ変わり”について、不思議な体験を明かしてくれた。
「前世を記憶している子どもとかそういった本が当時いっぱい出ていたので、単純に興味を持っていたというもあるけれど、私がたまたま不可解なことが好きで、小さい頃から車に轢かれたりする夢をよく見ていたという記憶が鮮明で、もし前世があるとしたら自分の前世は車や馬車などに轢かれて死んだ人間かなって思っていて。読者の方に言われて気づかされたんですけど、『新津さんの作品って交通事故で亡くなる事例が多いですね』って。去年は2つくらいそういうのを書いているので、夢が影響しているのかもしれないです(笑)」。

人生そのものが小説のようでもあり、小説家の持つ独特の感性に驚かされるが、最後に原作者ならではの本作の魅力を語ってくれた。

「子どもを失って大きな喪失感を抱く夫婦が子どもの魂に導かれていく再生の物語なので、夫婦で観ていただけると嬉しいですけど、結婚されていない方はお付き合いされている方と一緒に観て欲しいですね。家族で観ても、ひとりで観ても家庭や家族というものを考えるきっかけにもなるお話になっています。それから監督のメッセージが各場面に散りばめられているんです。“円”ですよね。命の循環という意味で、時計の円とかフライパンの円とか…そういう円がいくつあるかとか、どういうところに使われているとか細かい場面も見逃さずに観て欲しいと思います。でも、1回観ただけじゃ分からないかも(笑)」。
《シネマカフェ編集部》

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