【MOVIEブログ】2018東京国際映画祭コンペ部門作品紹介(欧州編)

東京国際映画祭の開催が今年も迫ってきました。9月25日にラインアップも発表され、いよいよ準備もフルスロットル! ということで、今年も僕が担当した部門を中心に作品を紹介していきたいと思います。

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『アマンダ(原題)』
  • 『アマンダ(原題)』
  • 『堕ちた希望』(C)Tramp Limited Srl-O’Groove Srl 2018
  • 『ブラ物語』(C)2018 Veit Helmer-Filmproduktion, Theo Lustig (C)2018 Theo Lustig
  • 『ホワイト・クロウ(原題)』(c)2019 BRITISH BROADCASTING CORPORATION AND MAGNOLIA MAE FILMS
  • 『氷の季節』(c)Nordisk Film Production
  • 『ヒズ・マスターズ・ヴォイス』(c)KMH Film
東京国際映画祭の開催が今年も迫ってきました。9月25日にラインアップも発表され、いよいよ準備もフルスロットル! ということで、今年も僕が担当した部門を中心に作品を紹介していきたいと思います。

映画祭で上映される作品を決めるパターンは幾通りかありますが、ざっくりと分ければ(1)公募、(2)こちらから映画会社に働きかける、の2つです。企画段階から出来たら観せてほしいと監督やプロデューサーにお願いすることもあるので、選定業務は1年中行っているとも言えますが、本格化するのはカンヌ以降、つまり6月からで、そこから9月上旬までに決めるのが毎年の目標です。

僕が選定に責任を負っているのは「コンペティション」、「日本映画スプラッシュ」、「ワールドフォーカス(の中の欧米作品)」です。観て決めるというのが原則なので、6月以降はとにかく観ることが生活の中心になりますが、今年の6月はシドニー映画祭に審査員で呼ばれたり、横浜のフランス映画祭に少しだけ関わったりしたので、合間に本業をちびちびこなしつつ、7月から完全に選定モードに突入しました。

今年も過酷な夏だった…。どのくらい過酷だったかを書くと、過酷自慢になるか、気味悪がられるかどちらかになるので割愛するとして、まあ今年も自分の体力をほめてやりたい夏でした。

さて、コンペティション部門については、何に重きを置いて選んでいくか、それこそ1年中悩んでいることではあります。しかし、悩んだときに常に立ち返るのは、作家性、つまりは監督の個性を重視しようということでした。東京国際映画祭は規模がそれなりに大きく、多様な企画やイベントが組まれているだけに、メインとなるコンペティション部門はきちんと作家を重視する姿勢を保っていないと軸がぶれてしまうという危機感が僕にはあり、今年は例年以上に監督重視を意識したところがあります。

そして、数年前から考えていることでもありますが、中堅の実力者をしっかり推したい、という意識もあります。たとえ日本での知名度は高くなくとも自国で存在感を高めている存在を集めたい。そしてその意図が今年はかなり実現した感があります。コンペ16作品中、12作品が40代~50代の監督によるものです。つまり、「ヤングコンペ」でも「巨匠コンペ」でもなく、「実績があり、実力があり、そして伸びしろがある」監督たちによるコンペティションです。

さらに、出来る限り世界を俯瞰できるものにしたいという意識は今年もありました。それぞれの場所で重要度を増している監督たちの目を通じて、我々もその国なり地域なりを発見できたら素敵だなと思います。彼らはいまの世界をどう見ているのか、激動する世界の中で個人をどう位置付けているのか、世界と個人の距離をどう測るのか。この主題がコンペ作品に通底しています。

その表現方法は、ドラマであったり、ホラーであったり、コメディだったり、様々な形をとっていきます。そのバラエティさにも注目してもらえたら嬉しいです。

では、地域ごとに、コンペの作品を紹介していきたいと思います。よろしくお付き合い下さいませ!

『アマンダ(原題)』(仏/ミカエル・アース監督)



『アマンダ(原題)』
まずは西ヨーロッパからスタートします。フランスのミカエル・アース監督は本作が長編6本目で、近年注目度が急上昇しています。前作『This Summer Feeling』(15)が実に素晴らしい出来栄えで僕もたちまち虜になり(TIFFへの招待も検討したものの実現せず)、監督の動向を追っていました。そして新作が期待を軽々と上回る内容であったので興奮してオファーをしたという経緯です。

最初に心を撃たれるのが光の美しさです。パリの街に降り注ぐ夏の光が本当に美しい。35mmフィルム撮影の質感がたまらなく胸に染みます。否応なく往年のヨーロッパ映画を彷彿とさせますが、どこかタイムレスな雰囲気を醸し出してもいます。そしてミカエル・アース監督はその美しい光の中で、悲しみと向き合う人びとの心情をとても繊細に、優しく描いていきます。

20代前半の青年ダヴィッドが主人公。シングルマザーである姉の娘の世話をたまに手伝い、あとは便利屋の仕事をしながらモラトリアム的に楽しんで暮らしている。しかし、パリをある悲劇が襲い、ダヴィッドは姪のアマンダと2人残されてしまう。2人がその悲劇を乗り越えようとする姿が丁寧に描かれますが、決してドラマチックになり過ぎず、むしろ軽やかなタッチがリアルな感動を誘います。

ごく普通の市民だった彼らが激動する世界の影響を直接受けてしまう。しかし人生は続く。世界と個人の距離という今年のコンペに共通する要素がこの作品からも伺えますし、そのような大きな背景は意識せずとも、成長せざるを得ないダヴィッドの戸惑いと、彼を頼らざるを得ない幼い姪のアマンダの2人の関係から目が離せなくなります。

ダヴィッド役にはヴァンサン・ラコスト。本作を含めて今年は主演作がフランスで3本公開され、最も旬で引く手あまたの若手俳優のひとりです。内気そうでもあり、ひょうひょうとしているようでもあり、まさに適役。アマンダ役の少女は、キャスティングディレクターが町で見かけてスカウトして演技初体験のようなのですが、まあ本当に何といったらいいか、もう直接見てご確認下さい! そしてダヴィッドの恋人役に、『グッバイ・ゴダール』のアンヌ・ヴィアゼムスキーも記憶に新しいステイシー・マーティン。本当に美しい。ほかにも達者なキャストを揃え、ダヴィッドとアマンダのドラマを支えていきます。

フランスが新たに注目する監督が紡ぐ世界に、胸が熱くなることは間違いないと断言します。

『堕ちた希望』(伊/エドゥアルド・デ・アンジェリス監督)




イタリアからは、本作が長編5作目となるエドゥアルド・デ・アンジェリス監督の『堕ちた希望』。デ・アンジェリス監督も前作の『Indivisible』(16)が多くの映画祭で評判となり、俄然注目度がアップしています。過酷な物語とダークなファンタジーが融合したような独特の世界観が特徴で、イタリア伝統のネオ・リアリズモと架空の世界が合体した魅力があります。

前作『Indivisible』は『切り離せないふたり』とのタイトルで昨年のイタリア映画祭にて上映されています。美人のシャム双生児が主人公で、彼女たちに歌を歌わせてカネを稼ぐ父親と、それに反発を始める姉妹の物語は残酷さをまといながらも奇妙な美しさに包まれていました。

今作『堕ちた希望』も背景の過酷さは変わりません。むしろ、増しています。若いヒロインは妊娠した娼婦を人身売買組織に引き渡す仕事に関わっていて、状況を受け入れながら冷酷に生き延びている。しかし自らの妊娠を機に、どん底からの脱却を試みる。果たして希望はあるのか…。

見どころのひとつはヒロイン像で、タフさと繊細さを兼ね備えたキャラクターに魅かれます。主演のピーナ・トゥルコ、まだ映画出演歴は多くないようですが、非常に将来が楽しみになる女優です。

そして映画の主役のひとつとなるのが、舞台となる海外沿いの土地で、一体ここはどこなのだ?と問わずにはいられません。ものの見事に荒れ果てた、ごみ溜めのような土地。調べてみると、ナポリの北西に位置するカステル・ヴォルトゥルノという地名で、それなりに観光地でもあるようですが、カモッラ(マフィア)と移民系組織との間で抗争が起きたこともあるらしく、イタリアで最も治安が悪い場所との記述も目にしました。

このなんとも恐ろしい土地を、不思議に魅力的に撮ってしまうデ・アンジェリス監督のセンスを何と形容すればいいのか、ちょっと筆が止まります。ナポリは監督の出身地であるので、治安の悪さが喧伝される故郷の街の現実を直視しながらも、自らの理想郷としての思いも重ねているのかもしれません。そこに、リアリズムとファンタジーの融合が生まれてくるのだという気がします。

実に見ごたえがありますが、聞きごたえもあります。音楽のエンツォ・アヴィタビーレはナポリ出身のサックス奏者/音楽家で、その活動をジョナサン・デミ監督がドキュメンタリー映画『Enzo Avitabile Music Life』(12)にまとめているほどの存在です。いろいろな視点から注目してもらいたい作品であります。

『ブラ物語』(ドイツ他/ファイト・ヘルマー監督)




ドイツ出身のファイト・ヘルマー監督が、アゼルバイジャンとの合作で製作したのが『ブラ物語』です。日本でも公開されたヘルマー監督の処女作『ツバル』(99)を覚えている人もいるかもしれません。独特のセピア色の画面にセリフの少ないファンタジー、という世界観をすでに確立していました。

新作も、ファンタジー・コメディー、あるいは大人のおとぎ話です。どことも知れないのどかな町の中を、建物の間を縫うように走る列車があり、その機関士がある日、車体に引っかかった洗濯物のブラジャーを見つけ、これはいかんと持ち主を探す…。ちょうどシンデレラの物語で王子がガラスの靴の持ち主を探すような感じですね。しかしまあ、なんと大胆な物語を思いつくものですね…。

ともかく見ているだけで微笑んでくるというか、のどかで温かい世界にうっとりします。幸せな映画です。フィルムのノスタルジックな質感、淡い色遣い、人情味が伝わってくる人々の暮らし…。

さらに、全く普段お目にかかることのない個性を備えた作品です。というのも、この作品、セリフが全くありません。上述したように『ツバル』もそうでしたが、ヘルマー監督は数本セリフのない作品を作っており、現代における「セリフ無し」映画の第一人者かもしれません。

それだけ映像と美術と音楽と役者の存在感が重要になってくるわけですが、主演のミキ・マノイロヴィッチはエミール・クストリッツァの『アンダーグラウンド』(95)の主演などで知られる東欧の名優。共演には、肉体を武器にした演技を得意とするお馴染みドゥニ・ラヴァン(ちなみに、今年は予備選考段階でドゥニ・ラヴァンが出演する作品を4本観ました。めちゃめちゃたくさん仕事してますね)。『ツバル』でドゥニ・ラヴァンと共演したチュルパン・ハマートヴァも『ブラ物語』に参加しています(そしてハマートヴァは次に紹介する『ホワイト・クロウ』にも出演!)。

つまり、セリフが無い映画のメリットのひとつに、各国から自由にキャスティングできるという点があるわけです。ブラの持ち主候補役にスペインやイタリアやフランスやロシアなど各国の女優さんが参加していて、そのうち何人かは来日してくれそうです。楽しみです。

『ブラ物語』はトーキョーがワールドプレミアなので(=東京の観客が世界で最初の観客!)、大いに盛り上げていきたいです!

『ホワイト・クロウ(原題)』(英国/レイフ・ファインズ監督)



『ホワイト・クロウ(原題)』(c)2019 BRITISH BROADCASTING CORPORATION AND MAGNOLIA MAE FILMS
名優レイフ・ファインズが、『英雄の証明』(11)、『エレン・ターナン~ディケンズに愛された女~』(13)に続いてメガホンを取ったのが『ホワイト・クロウ』です。『英雄の証明』はシェイクスピア、『エレン・ターナン』はディケンズと、ファインズが強い関心を抱く対象を監督作品に選んでいることが分かりますが、今回はルドルフ・ヌレエフの半生を映画化しました。

ファインズはもともとロシア文化への造詣が深く、世界的スターの中で唯一ロシア語を操る存在としてロシア人ファンからも崇められているそうです。ルドルフの伝記を20年前に読んだファインズは映画化の構想を長らく抱いていたとのことですが、監督経験も積んで機が熟したと思ったか、今回ついに実現させたという経緯のようです。

ロックは知らなくてもジョン・レノンは知ってる、というくらいに、バレエに詳しくないけどヌレエフの名前なら知ってる、というクラスの超スーパースターだったヌレエフですが、若い世代はもはや知らないのかもしれませんね。是非この機会に発見してもらいたいのですが、バレリーナの添え物としてしか見られていなかった男性バレエダンサーに革命をもたらした存在でもあります。そして、妥協の知らない性格でも知られ、特に1961年の共産主義下のソ連から西側への亡命劇は、世界に衝撃を与えた大事件でした(僕は生まれていませんが、物心ついたときから知っていたような気がします)。

ヌレエフは貧しい家庭で生まれ、平均よりも遅い年齢でレニングラードのバレエ・アカデミーに入学します。遅れを取り戻すべくがむしゃらに練習するものの、激しい性格を隠そうとせず、教官とも衝突する。しかしベテラン教員のプーシキンはヌレエフの才能を見込んで面倒を見て、やがてヌレエフは公演ツアーでパリへと旅に出る。そしてその行動は逐一KGBに監視されていた…。

映画は、貧しい少年時代、厳しい修業時代、そしてパリ公演の旅、この3つの時間を平行して描いていきます。天才の成長過程を知り、バレエのダイナミックな醍醐味を味わい、そして亡命劇のスリルに緊張する。鮮やかな構成と演出です。監督レイフ・ファインズ、お見事。

さすがにヌレエフを役者に演じさせるわけにいかなかったか、ダンサーのオーディションを実施した結果、タタール劇場のプリンシプルであるオレグ・イヴェンコが抜擢されました。演技経験はなかったものの、そこは名優監督の丁寧な指導を受けた結果、驚くべき成功を収めています(僕はプロの役者にバレエを習わせたのかと一瞬思ったほどでした)。ファインズは師匠のプーシキン役で共演し、パリ時代の知人役にアデル・エグザルホプロスも出演して華を添えます。

『氷の季節』(デンマーク/マイケル・ノアー監督)



『氷の季節』(c)Nordisk Film Production
北欧に移動し、デンマークです。ゼロ年代後半からデンマークに新しい世代の波が来ているなと感じたのが、『ジャミル』(08)や、『R』(10)などの作品を観たときでした。前者は東京国際映画祭でも上映しましたが、移民系地下組織とドラッグの世界を強烈なリアリズムで描写し、壮絶に救いの無いエンディングに震撼したものでした。

『ジャミル』のオマー・シャーガウィ監督が役者として出演していたのが『R』で、刑務所内でサバイブする青年の物語でした。こちらも容赦の無いリアリズムでハッピーエンドとは無縁の映画ですが、主人公が途中から入れ替わるという構成の妙も効いており、デンマーク映画の新たな勢いを感じたのでした。その『R』を共同監督していたのが、トビアス・リンホルムと、マイケル・ノアーの2人で、ともに初長編でした。

トビアス・リンホルム監督は続いて『シージャック』(12/同年東京国際映画祭のコンペに招待)を作り、次に監督した『ある戦争』(15)でアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされる存在にまでなったのは周知のとおりです。一方のマイケル・ノアーは『Northwest』(13)で若者ギャング集団の暴走をシャープに描き、各国の映画祭を席巻します。続く『Key House Mirror』(15)では一組の老年夫婦の行く末を取り上げ、幅広い題材選びと安易な予想を許さない物語展開でデンマーク映画ファンを驚かせました。

このように、『R』を出発点とし、デンマークの新しいシーンを牽引する2人がトビアス・リンホルムとマイケル・ノアーであり、一世を風靡した「ドグマ95」世代に代わる世代の台頭と言っていいかもしれません(とはいえ、トビアス・リンホルムはトーマス・ウィンターベアとは頻繁に仕事をしていますし、世代交代という意識が彼らにあるかは分かりません)。彼らの作品のプロデューサーも来日予定なので、デンマーク映画界の現状についてじっくり話を聞くのが楽しみです。

さて、前振りが長くなりました。そんな注目のマイケル・ノアー監督の新作が『氷の季節』です。今回は19世紀の農村地帯を舞台とした、いわゆる時代ものです。極貧の暮らしを送る農家の主が、娘を地主の嫁にやることで生活の改善を図るが、そこで事件が起こる…という物語。冒頭、氷に閉じ込められた死体が映り、事件ドラマであることを予見させてスタートします。

一切れのパンを4人家族で分け合って食べるほどの貧しさ。『ニーチェの馬』のじゃがいもを連想しますが、一般農家の暮らしの厳しさとそのサバイバルへの戦いは、現代の格差社会の投射であると見ていいはずです。現代社会を容赦ないリアリズムで描いてきたマイケル・ノアーの仕事の緻密さは、時代劇になって一層研ぎ澄まされた感があり、当時の農村の様子の再現には一分の隙も見られません。ドラマも緊迫しており、実に見ごたえのある作品に仕上がっています。

自然の厳しい美しさを映し出す撮影は『ひつじ村の兄弟』(15)と同じキャメラマンが手掛けており、まさに眼福。そして主演のイェスパー・クリステンセンは『ヒトラーに屈しなかった国王』(16)主演の記憶も新しい名優、007シリーズのミスター・ホワイトでも有名ですね。さすがにこのクラスの名優が主演となると映画が引き締まります。隅々まで見どころが満載の一作です。

『ヒズ・マスターズ・ヴォイス』(ハンガリー/パールフィ・ジョルジ監督)



『ヒズ・マスターズ・ヴォイス』(c)KMH Film
東欧はハンガリーです。パールフィ・ジョルジ監督は同国を代表する監督のひとりであり、世界的に有名な鬼才と呼んでいいでしょう。何をもって「鬼才」と呼ぶか、定義は様々でしょうが、パールフィの場合は奇想天外さと映画的な魅力が高いレベルで同居している、というところでしょうか。あるいは、現代人の欲望の形を突き詰めていく姿勢でしょうか。いや、人間とほかの生物との間に垣根を設けない姿勢でしょうか…。

仮にリニアな物語に引き込まれるのではなかったとしても、強烈なものを観たという満足感と刺激を鑑賞後に与える作品を作るのがパールフィ監督です。

たとえば、近作の『フリー・フォール』(14/カルロヴィヴァリ国際映画祭監督賞受賞/同年の東京国際映画祭ワールドフォーカス部門で上映)では、老女がビルの屋上から飛び降り、その落下中に目撃する各階の部屋の様子が短編風に連なったものでした。各短編が全く違う演出スタイルで撮られており、ソープドラマ風であったり、エロティックスリラー風であったり、監督は遊んでいるように見えながら、それぞれの短編には現代への風刺が絶妙に盛り込まれたうえに、映像のクオリティが飛びぬけて高く、技術への精通を知らしめる作品でした。

さらに、『Final Cut』(12)は古今東西の数百本の映画から男女のシーンを抜粋し、全く別の新しい恋愛映画を作るという実験的な試みでした。そしてこれが抜群に面白い(しかし権利関係の問題から映画祭や教育目的にのみ上映可能だそうで、日本では大阪ヨーロッパ映画祭やあいちトリエンナーレなどで上映実績があります)。つまり映画の文法を熟知し、その上で文法を解体したり、伸ばしたり曲げたり、自在に映画を操ることのできる芸術家であると言えます。

本作も奇想天外さにおいては群を抜いています。ハンガリーの兄弟が幼い頃に失踪した父親を探しており、どうやら米軍が絡む陰謀に関係しているかもしれないことを知り、調査を進める。果たして父は危険な人体実験に関与しているのだろうか…。

やがて、家族の物語に宇宙や生命の起源が絡んでくる壮大なスケールのドラマが展開するのですが、本作はポーランドのSF作家で、『惑星ソラリス』の原作者としても有名なスタニスワフ・レムの代表作のひとつである「天の声」を原作としています。原作というか、下敷きというか、完全にパールフィ流にアレンジされているのですが、宇宙とのコンタクトを試みるという原作の設定は確実な軸になっています。ヒズ・マスターズ・ヴォイスとは、つまり主人の声、神の声のことですね。その声へのコンタクトを試みる「マスターズ・ヴォイス計画」が進行しており、上述の兄弟の物語が絡んでいきます。

パールフィ流のイメージ映像の洪水が押し寄せ、カオティックな真実探求の旅に観客は誘われます。知的興奮を刺激する波に飲み込まれてしまうような、これは本当に滅多に得ることのない映像体験です。

今回は光栄にもワールドプレミアの上映です。この奇異にして美麗な傑作を世界で最初に観るのが東京の観客であり、その反応が世界中に伝わるのかと思うと、興奮します。そして緊張します。
《矢田部吉彦》

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