アメリカ〈自由の女神像〉の制作に協力したことで大いなる名声を獲得した、ギュスターヴ・エッフェル。世間では 3年後の 1889 年に開催される「パリ万国博覧会」の話題でもちきりだった。そのシンボルモニュメント制作のコンクールには全く興味のなかったエッフェルだが、パーティーの席で大臣から強く参加を要請される。さらに、久しぶりに再会した友人で記者のアントワーヌ・ド・レスタックの妻・アドリエンヌから「大臣と同感です。ぜひ見てみたい。野心作を」と言われたエッフェルは突然、「ブルジョワも労働者も皆が楽しめるように、パリの真ん中に 300m の塔をすべて金属で造る」と宣言する。実は初対面のふりをしたレスタックの妻は、エッフェルにとって忘れられない女性だった――。
マルタン・ブルブロン