太平洋戦争中の1944年8月、オーストラリアの田舎町カウラにあった捕虜収容所で近代戦史上最大といわれる捕虜脱走事件が起こった。日本人捕虜234人、オーストラリア人の監視兵ら4人が死亡。カウラ事件である。正確に言えば「脱走」ではない。日本人捕虜の目的は「死」だった。事件はなぜ起きたのか?「戦陣訓」に象徴される「捕虜を恥」とする旧日本軍の教義、当時の日本の「空気」がその背景にはあった。一方、収容所で手厚い保護を受けた生活を送るうち、捕虜たちの間には生への執着が確実に芽生えていた。“生きられれば生きたい”事件の生存者は正直な心理を吐露する。だが、その思いはある捕虜のひと言でかき消されてしまった。「貴様らそれでも帝国軍人!」決行か否か、捕虜たちが選んだのは全員による投票だった。その結果は―。同じ状況に置かれたとき、あなたは大きな声にあらがうことができるか?生存者たちに今なお残る悔恨、その思いを受け止めようとする若者や演劇人、事件を教訓に和解への道を歩んできたカウラの人々―。事件がコロナの時代を生きる我々に問いかけるものは何か。
満田康弘